向かいのベッドからの声…

こんにちは!
PHILOS事務局のいちぜんやです。

骨折の術後、感染症を発症して再入院を強いられていましたが、おかげさまで経過もよく、先日、退院しました。これから自宅療養となります。ご心配をおかけしました。

さて今日は、退院前に同部屋に入院してこられた、とってもユニークな後輩患者さんについてお話したいと思っています。

昔の大部屋は間仕切りがないも同然でプライバシーなどありませんでした。その分、ベッドに座りながらおしゃべりするなど患者さん同士が親しくなったものです。

入院中は誰もが時間を持て余しているので、お互いに入院の原因になった事故などの話をしたり、手術のこと、今後のことを話したりと、情報交換をしていたのを覚えています。それが面倒だなあと思うこともありましたが…

今は大部屋でも個々のスペースがカーテンで完全に仕切られておりほぼ個室状態。なので他の患者さんを見ることはほとんどありませんし、患者さん同士が会話する機会もありません。

とはいえ、時間を持て余すのは今も同じ。そんな中での情報源は、患者さんと医師・看護師の会話。決して聞き耳を立てているわけではないのですが、どうしても聞き入ってしまいます。

私の部屋では2-3日ごとに患者の入れ替えがあったのですが、ある日、聞こえてきたのはちょっと高音でハスキーな男性患者の声。年配者が多い中、かなり若い印象でした。

大雑把にまとめると、彼は❶ゴミ屋敷みたいに散らかっている部屋で一人暮らしをしていて、❷うっかり何かを踏んだ拍子に足首をひねった、❸痛くて歩けないので自分で救急車を呼んだ、と言っていました。

医師・看護師は、❶足首関節の脱臼&骨折の大ケガで、❷腫れが引くまでやぐらで固定し、❸腫れが引いたら本手術すること、さらに❹治療には時間がかること、❺完全に元に戻るかはわからない、といっていました。

この会話から、足首のケガであること、やぐらを組むこと、その後に手術することが私と共通でちょっとした親近感が湧いた一方、元通りにならないかも知れず私よりも深刻な状況なのだと少し同情しました。

最後に医師は彼に「何か聞いておきたいことは?」と尋ねました。私の時も同じ質問があり、私は「また以前のように走れるようになりますか」と尋ねました。その答えは「大丈夫です。リハビリを頑張りましょう」でした。とてもホッとしたことを覚えています。さて彼が何を聴くのかと聞き耳を立てていると、なんと彼は「正座できますか」と聞き返したのです。思わず私は「はあ」とつぶやいてしまいました。正座かいな…もうちょっとましなこと聞かへんと…

入院中、私は横になると足の痛みが増して眠ることができず、深夜、他の患者さんが寝付いたころを見計らってパソコンで映画を見たりしていました。

彼が来たその日から、その時間は私だけのものではなくなりました。そう、彼も眠らないのです。そして彼の部屋から聞こえてきたのは…

な、な、なんと落語(笑)

彼はその時刻に落語の練習を始めるのです。とても小さな声で、でも静まり返った部屋に響き渡るには十分の音量で。

なるほど、彼が正座ができるようになるかを医師に尋ねた理由はこれだったのか!と腑に落ちました。彼は落語家だったのです!そういえば声も落語にぴったりの感じで…

毎日毎日、暗い狭い部屋で一人、真打を夢見て落語を練習する若者。部屋に散らかっているのはきっと酒の空きビン。彼には彼女がいて「酒や酒や。酒買ってこい!」と春団治みたく言い放ち、彼女はコンビニで日本酒の小瓶を買い部屋に届ける。一人の夜、酔った拍子に酒瓶を踏みコケて病院送りになってしまった落語のような話…彼に関する私の妄想は広がるばかり。

落語の練習が終わると、今度はなぜか英語の勉強。声を出して英単語を読むのです。英語で落語でもやろうというのか。それにしても私の立場上、許せないような日本語読み(笑)

エキストラオーディナリー。

あかん、単語の意味もあってか、彼のこの発音が耳から離れない。私は心の中で何度も彼に言う。発音はそうと違うねん!こうやねんと…その独学は報いられへんで、と。

退院を目前にしたある日の午後、私は談話室でのんびりとモンカフェを飲んでいました。するとそこに車いすに乗った小柄な男性がやってきました。彼は私のモンカフェをチラ見したあと自販機で缶コーヒーを買い、私から少し離れたテーブルにつきました。

そして彼は電話をし始めました。するとその声に聞き覚えが…

あっ、落語家の彼や!

聴き間違えようのないちょっと高めでハスキーな声。間違いなく彼の声です。そして電話が終わった彼は、窓の外に向けて落語の練習を始めたのです!もう疑いようはありません!

なになに?その後、私から声をかけて友人になったかって?

残念ながらそうはなりませんでした。なぜなら…

そこにいる彼はどう見ても60歳を過ぎた初老のおじいさんでした。その姿を見て妄想とのギャップに声も出ない。まさに私はフリーズしてしまったのです…

結局、彼とは言葉を交わすことなく私は退院しました。なぜ落語の後に英単語の勉強だったのかは永遠の謎になりました。

分かっているのは、今夜も深夜になるとあの部屋に彼の落語が響き渡ること。

入院中に遭った嘘のような本当にお話。

追伸。
英語の発音には繊細になってきた私の耳は、年齢当てには不向きだと知りました。それはさておき、英単語の発音練習の独学には気をつけましょう。